お茶との出会いについて
/ Essay随筆

当時の祖父母の家は勝手口が台所のすぐ横にあり、酒屋さんやお米屋さんが配達に来られるのを面白いなぁと思って見ていました。台所には作業台としてテーブルが置いてあったのですが、初めて抹茶が出てきた時は準備をしている時から面白く感じました。
竹でできた茶筅は私には小さな泡立て器のように見えました。その茶筅でしゃかしゃかとお茶を点てる音が聞こえてきたのです。どうやって飲むものかと思ったら、祖母がやり方を見せてくれました。そう言いながら「すきにしていいよ」と。

茶筅(ちゃせん):抹茶の粉とお湯を混ぜてお茶を点てるときに使う道具
周囲の大人もどうやら好きにしているような感じでした。でも、お茶を前にいつもとはほんの少し違う、なんとなく少しかしこまった空気が流れているのも感じました。
祖父母とは外食する機会も度々ありました。食事の最後にお菓子と抹茶が出てきたことも。そんな時に少しずつ祖母に話を聞いていると、どうやら長らくお茶のお稽古をしていたらしく、好きにしたらいいと言いながら祖母だけは何やら色々やっていたのです。
知っている人と知らない人の間に流れる空気の違いを感じた小さい頃の私は、自分もその何やら色々を祖母のようにやってみたいと思ったのです。その後、お茶のお稽古に行くことになったと伝えると祖母は嬉しそうでした。
でも実際のところはお稽古場に行って、ただ先生に言われた通りに動いて帰るだけなのに、なんだかくたびれている…というのが何年も続きました。それでも祖母との会話のチャンネルが増えたように感じ、祖母とお茶の話ができることが嬉しかったのです。
周囲の大人もどうやら好きにしているような感じでした。でも、お茶を前にいつもとはほんの少し違う、なんとなく少しかしこまった空気が流れているのも感じました。
祖父母とは外食する機会も度々ありました。食事の最後にお菓子と抹茶が出てきたことも。そんな時に少しずつ祖母に話を聞いていると、どうやら長らくお茶のお稽古をしていたらしく、好きにしたらいいと言いながら祖母だけは何やら色々やっていたのです。
知っている人と知らない人の間に流れる空気の違いを感じた小さい頃の私は、自分もその何やら色々を祖母のようにやってみたいと思ったのです。その後、お茶のお稽古に行くことになったと伝えると祖母は嬉しそうでした。
でも実際のところはお稽古場に行って、ただ先生に言われた通りに動いて帰るだけなのに、なんだかくたびれている…というのが何年も続きました。それでも祖母との会話のチャンネルが増えたように感じ、祖母とお茶の話ができることが嬉しかったのです。

私がまだ生後間もない頃。祖父母と一緒に実家の庭で。 あちこちが傷んでいますが、懐かしい1枚です
少しずつお免状を頂くようになりましたが、そんな話を祖母は随分と嬉しそうに聞いてくれていました。
私は結婚と同時に京都から離れ、ニュージーランドに住むことになったのですが、祖母は本や日本の食材を何度も送ってくれました。

祖母が送ってくれた本を抹茶と共に見返すひととき
その頃、少しずつ体調を崩していた祖母は、帰国した私が秋田に住んでいた時に亡くなりました。亡くなったという連絡をもらってから、飛行機の手配をし、いろんなことを思い出しながらも本当に祖母が亡くなったのか、少し信じられないような、そんな気持ちで空港バスから景色を見ていたことを今でも覚えています。
祖父母と過ごしたいろんなシーンが思い出としてありますが、なかでも毎年、祖父母が夏を過ごしていた軽井沢の家で一緒に過ごしていた時のことは色濃く残っています。スーパーに行ったついでにソフトクリームを買ってもらったことや、中国で生まれた祖母が何よりも中華料理を食べに行くと嬉しそうだったこと。
いまも台所でお茶を点てる用意をしているとふと、あの祖母のいた台所の景色を思い出します。

茶碗の中に茶筅(ちゃせん)、茶巾(ちゃきん)、茶杓(ちゃしゃく)を用意
少しお稽古の話をするだけで祖母が随分と喜んでくれたのも、お稽古を続けられた理由のひとつかも知れません。
今日もお立ち寄りくださりありがとうございました。
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